歴史的背景
今から50年ほど前、鷲の宿の川村さん一家が、知床羅臼のチトライ川河畔に入植して来ました。 一家は、河畔で水産加工場を経営し、魚やカニのアラを川に流していました。 そこは、浅く流れが緩やかな瀬で、シマフクロウが餌の魚であるオショロコマを狩る場所でした。 多くオショロコマがアラに集まり、シマフクロウは夜間作業の光を利用してオショロコマを捕食するようになりました。 人とシマフクロウがすぐ隣同士に居ながら、お互いの存在を無視して生活するという関係がこの時に出来上がりました。
人を無視する関係の継続
平成元年、 水産加工所の跡に民宿「鷲の宿」が開業しました。 そして宿泊するお客さんが、宿のすぐそばにシマフクロウがやって来る事を発見しました。 カメラマンが川の中に石囲いを作りヤマメを放すと、シマフクロウがそれを見つけて捕食しました。 その後、鷲の宿が主導して給餌池を作り、きちんとした管理体制で給餌を行うことで、人馴れしない関係を維持継続してきました。
しかし、しだいに多くのカメラマンが鷲の宿を訪れるようになり、各自が自分の車からストロボ撮影するようになると、シマフクロウの居心地が悪くなり、川や給餌池の滞在時間が短くなるという問題が発生してきました。
ストロボの禁止と人の動きの管理<観察者が自然の一部になる関係>
シマフクロウが人の存在を気にしない居心地の良い場所を作るために、撮影の際のストロボ使用を禁止し、全ての人々が観察小屋か宿の中から観察撮影を行うようにルールを変更しました。
車を河畔に置かない為、シマフクロウからは河畔の風景が毎日同じに見えます。 照明の位置や明るさも一定で、予期しない突然の発光がありません。 このルールの変更によりシマフクロウの安心感が増し、餌を食べた後も川に留まり休憩したり、魚を眺めて遊ぶようになりました。 人々が観察小屋から見ていることは知っていても、人々の存在が全く邪魔にならなくなったのです。
観察撮影者が自然の木や岩と同じ、日常の自然の一部とみなされる関係がここに出来上がりました。